【昭和の闇】青森実子保険金殺人事件──わかこちゃん地蔵が語る、名を奪われた少女と“消えた母”
1972年、青森市で起きた「青森実子保険金殺人事件」。
実の父親が娘に高額の生命保険をかけ、ひき逃げを装って殺害した。
事件の記録には、母親の存在がどこにも記されていないという不可解な空白が残る。
序章:静かな市道で起きた「ひき逃げ」
1972年8月28日午後8時12分。
青森県青森市三内稲元の市道で、小学4年生の少女が車にはねられ死亡した。
同伴していた父親は「娘がひき逃げされた」と通報した。
警察は現場の状況からただちに不審を抱いた。
ブレーキ痕が一切なく、衝突後の減速も確認されなかったためだ。
さらに、父親が娘に多額の生命保険をかけていたことが判明する。
5月に1700万円、事故の18日前には400万円。合計2100万円──
現在の価値にして約1億円に相当する。
父親は板金塗装業を営んでいたが、経営難に陥り借金を抱えていた。
やがて警察は、この事故が「保険金目的の殺人」である可能性を視野に入れて捜査を進めた。
犯行の経緯:知人に「娘を轢き殺させた父親」
捜査の結果、父親は知人2人に娘の殺害を依頼していたことが明らかになった。
1人は青森市内で乗用車を盗み、もう1人は逃走を支援した。
1972年8月28日夜、父親が娘たちを連れて歩いていた市道で、
後方から車が突っ込み、長女がはねられて死亡した。
現場にはブレーキも回避の痕跡もなく、
犯行後、使用車両は市営焼却場裏に乗り捨てられていた。
その後、犯行を請け負った男が酒席で「子どもをひき殺した」と漏らしたことから、
関係者全員が逮捕され、父親も犯行を認めた。
記録から消えた「母親の存在」
この事件の特徴として、多くの報道や公的資料において母親の記述が一切存在しない点が挙げられる。
警察発表、新聞記事、Wikipediaなど、いずれも「父親と二人の娘」とだけ記されており、
妻または母親に関する言及が確認できない。
家庭の事情は明らかでないが、事件当時は父親と娘たちだけの生活だった可能性が高い。
離婚、死別、家出──いずれにせよ、母の不在は家庭の孤立を深め、
父親の経済的・精神的な追い詰めを助長したと推測される。
判決とその後
1972年9月3日、父親および共犯2名が逮捕され、殺人罪で起訴された。
しかし、当時の新聞や裁判記録の多くは未デジタル化のままで、
量刑や判決文の詳細は現在も公には確認されていない。
青森地裁の判決要旨や新聞縮刷版に記録が残る可能性はあるが、
オンライン上で閲覧できる一次資料はごく限られている。
「わかこちゃん地蔵」と呼ばれる祈りの場
事件現場近くの三内共同墓地入口には、
「わかこちゃん地蔵」と呼ばれる小さな地蔵が今も残っている。
地元では事件の犠牲となった少女を供養する地蔵として知られ、
花やお菓子が絶えることはない。
2022年8月29日付『陸奥新報』は、事件から50年を迎えた同地を取材し、
「供養を欠かさぬ人がいる」と報じている。
“わかこちゃん”という名前の由来は明確ではないが、
「亡くなった少女の名前が和佳子だったのでは」という推測が語り継がれている。
名を持たぬ少女へのまなざし
報道では被害者名は仮名の“B子”として扱われている。
しかし、地元の人々が「わかこちゃん」と呼ぶことで、
失われた“個人の名前”を取り戻そうとしているようにも見える。
事件を知った人々が「どんな子だったのか」「名前を知りたい」と願うのは、
単なる興味ではなく、存在を確かめようとする自然な感情だ。
名前を知ることは、記号化された悲劇を再び“人間の物語”に戻す行為でもある。
消えた家族と残された祈り
母親の不在、父親の暴走、そして娘たちの死。
この事件は、家庭という最も小さな共同体が崩れたときに生まれる悲劇だった。
半世紀を経ても、被害者や加害者の詳細が語られないまま、
「わかこちゃん地蔵」だけが静かに当時を伝えている。
無名の祈りは、匿名のままでも続く。
それは、名前を奪われた少女の存在を今も誰かが忘れていない証なのだ。
出典・参考
-
『青森実子保険金殺人事件』Wikipedia
-
『陸奥新報』(2022年8月29日)「実子保険金殺人から50年」
-
『東奥日報』(1972年9月4日号)報道
-
現地探索ブログ「わかこちゃん地蔵を訪ねて」
※本稿は当時の報道資料・公開記録をもとに構成したものであり、
一部に筆者による補足・要約を含みます。事実関係の解釈は可能な限り一次資料に基づいています。
コメント
コメントを投稿